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現場のひと(2)

(1)から続く

 おれは捨て子なんだ。青森県の白神山地で捨てられてた。拾って育ててくれた人がいたんだけど、その人はおれが2歳の時に亡くなって。その後は兄貴が育ててくれた。兄貴って呼んでんだ、全然血のつながりはないけどね。
 兄貴はおれを育てるために、行きたかった高校行くのもやめて働いた。兄貴の親は東京に出稼ぎに出てたから、兄貴が一人で、6キロくらい先の隣の家に行って米を分けてもらったりしてさ。そうすっと、田舎だから「あの家は…」なんて悪い噂もすぐに立つんだ。

 14の時に捨て子だって聞いて、こんな田舎にいても仕方ねえって思って、東京に出て来たんだ。ここに家族がいるわけでもないし、ってね。
 電車で東京に来て、上野の駅で倒れてた。そしたら誰かに上から踏みつけられてよ。「おまえ何してんだよ、こんなとこで」って聞かれて、「腹減って動けねえ」って言った。そしたら、ついて来いって、飯食わせてくれたんだ。
 何で倒れてたとか、どこから来たとか、そんないきさつ何も聞かないで、一言こう言われた。ただより高えものはねえぞ、って。それでその人のトラックの運送会社で働き始めることになった。社長だったんだ。
 しばらくしたら、心配した兄貴が人探しの広告を出したんだ。社長がそれを見て「あいつじゃねえか」ってなって、事情がわかったんだよ。それで東京で戸籍作ってもらった。戸籍がないと免許取れないからね。でも誕生日だって年齢だって、本当のことはわかんないよ。
 結局、その会社はやめたよ。おれ、すぐ喧嘩して人を殴る性格だったから。社長を本気で怒らせて「お前の顔は二度と見たくねえ、出てけ」って。でもその時に社長の奥さんが退職金代わりにトラックをくれた。車体だけじゃなくて、トラックの上物もどこどこに置いてあるから行ってきな、って。三菱の車だった。

 兄貴には会ってないよ。縁を切ったんだ。おれ今53だけど、30歳の時に一回兄貴と会って話してさ、そん時に、「つらいからもう会うのやめよう、家族の縁は切ろう」って言われた。兄貴、高校も行けなくて働いてただろ。だから、お前さえいなけりゃ、って言われたり、殴られたりすることもあったんだ。そのことを思い出すと申し訳なくてつらいから、もう会いたくない、って。
 だけど縁なんて切れるもんじゃないよ。兄貴、白神山地が世界遺産になった時に、補償金も何にもなしで退去しなきゃいけなくなって、気仙沼の近くに移ったんだ。でも震災で家が流された。
 それでもこれはずっと覚えてるよ。おれが飛び出して来た時、兄貴には何にも言うつもりなかったんだ。でも中学生ってバカだろ、おれが荷物まとめてたの兄貴気づいてたんだ。そしたら兄貴、おれがまとめた服の間に貯金してた1万円札挟みこんでくれてたんだよな。

 それからずっと運ちゃんやってたんだ。どっかに写真があるよ… ホラ、これがお父ちゃんの最後の車。すげえ塗装だろ。昔はお母ちゃんが描いてくれてたんだ。今のお母ちゃんじゃねえけど。
 家族には言ってないぜ、塗装にいくらかかったか。手取りで月80万円くらい入って来てて、そのうち50万円を家族に送ってた。50万くらいありゃ生きてけるだろ、って。で3万円だけお小遣いにして、残りの27万円はトラックのために貯金したよ。

 長男が2歳の時にお母ちゃんが亡くなった。今のお母ちゃんとは再婚したんだ。
 長男は3年間、次男坊は1年間、お父ちゃんと一緒にトラックで旅してたんだよ。長男は学校ではいじめられっ子でね、不登校だった。3年も家に帰らなくて学校も行かなかったのにな、高校の先生がそれでも単位くれたんだ。君は学校に来なくてもいい、中間試験も受けなくていい、期末試験だけ受けて、おれが納得いく点数を取ってくれればそれでいい、って。だからおれ言ったんだよ。お前こんなに先生に信用されてるけど、どうする、って。そしたらあいつ、試験で100点しか取らなかった。だから高校も特別奨学生って言って、学費は全くゼロで入れてもらったんだ。

 次男坊はね、生まれた時から先天性免疫不全だったんだ。初めて素手で抱っこしたのは4歳の時だった。医者に1歳で死ぬって言われて、次は3歳で死ぬ、6歳で死ぬって言われた。それでも死ななかったから、最後は医者に呼ばれてこう言われたよ。「お父さん、この子はいつか必ず死にます。だからいつ死んでもいいように心の準備をしておいてください」って。23歳まで生きてたよ。
 23になっても寝る時は手を繋いで寝てたんだ。夜寝るのが怖いんだって。朝起きたら自分がいなくなってるんじゃないかって思って、眠れないって。

 あいつはお兄ちゃんのことが大好きな子だったんだ。お兄ちゃんの着た服しか着なかった。お兄ちゃんと同じ幼稚園に行って、お兄ちゃんと同じ小学校、中学校、高校を出た。やっぱりあいつも小学校の頃は100点しか取らなかったよ。お兄ちゃんのことすげえ尊敬してたし、憧れてたんだよな。いつも言ってたぜ。100点は取れる、でも101点がどうしても取れない、って。
 長男が大学行かなかったのは、次男坊の入院費を稼ぐためだよ。お父ちゃんの稼ぎじゃ足りない、って。
 いつも笑顔だった。お父さんがそうだから、おれもこうでいられるんだ。ありがとう、ありがとう、って、いっつも言ってた。でもな、3人でブラジルに行って車でぶっ飛ばすのが夢だったんだ。それができなかったのだけは残念だって、言ってたよ。
 大阪府知事だった橋下さんってわかるだろ。次男坊、あの人から表彰されたんだ。2ちゃんねるで自殺したいって言ってる若者にね、「すれば?自殺なんて勝手にすればいい」って、病室から送ったんだよ。そしたら、何でそんなひどいこと言うの、って。それがきっかけで次男とチャットで話すようになった若者が自殺やめたから、その年は自殺が減ったんだよ。

 東日本大震災の時、おれはたまたま家にいたんだよ。でも本当は仕事の話があったから、おれはそれを友達に紹介して、そいつが走ってたんだ。それでその友達、トラックごと流されちまった。トラックは出てきたけど、その友達は今でも見つかってない。
 おれ、その家族のとこに謝りに行ったよ。そしたら、その奥さんがな、すごい人なんだ。あの人はあのトラックに跨ってられれば、幸せなんです。だから、いいんです、って。
 長男が、今もアメリカからその家族に毎月仕送りを送ってるよ。
 おれが走ってたら、多分おれが死んでたんだよな。だけど生きてる。でもな、めちゃくちゃな人生生きてると、どうでもよくなっちゃうんだよ。時々ね、何もかも。

 福島の原発事故、もう全部終わったみたいに世の中なってるけど、発表されてないことや報道されてないことってたくさんあるんだぜ。福島に行くと、汚染土が積み重ねられてその辺にたくさん置かれてる。
 仕事で行ったんだよ。そしたらよ、戻ってこれない農家があるだろ、その畑を掘り起こしてプール作られてたんだ。コンクリの升の上に鉄板が貼ってあって、その上にさらにアルミ板が貼られてる。汚染水用のプールだよ。最初、汚染水を海に流すって言ってたけど、それができなくなって、場所がないって問題になってただろ。それだよ。
 おれ携帯でその写真撮ってたら、「何してんですか!早く消してください!」って怒られてよ、「もう家族にラインで送っちゃいましたよ」ってね。でもなあ、じゃあ事故の時おれに電話かけてきたのは何だったんだって思ったよ。

 あの時な、国から電話がかかって来て、精製水をトラック一杯、18トン持って来てくれって言われたんだ。何に使うんだ、そんなの横須賀の米軍に頼んで空路で運ばせた方がはるかに早いだろって言ったら、機密事項です、ってよ。一旦やるって言ったんだけどな、家族に言ったら、猛反対されたよ。何でわざわざそんな危ないことするんだ、って。阪神淡路の時とは訳が違うんだよ、放射能なんだよ、って。チェルノブイリよりひどいって言われてたからね、あの時。子供もさ、いつもはお父ちゃんかっこいいって言ってたけど、その時はやめろって。それでその仕事はやめたよ。
 でもその代わりに自分で支援物資を運ぶことにしたんだ。トラック仲間に連絡してな、最初はみんな、危険すぎるって言ってたけど、説得して、みんなから色んな物資を集めたんだ。燃料、発電機、毛布、水… そういうもの積んで走って行った。太平洋側は橋が流されてたから、日本海側を周ったよ。すげえ遠回りしたけど、必死で走って、ちゃんと時間通りに着いた。そしたら自衛隊が道路塞いでて、「ここから先は通行禁止です、危険です」って言うんだ。支援物資なんだから通してくれっていくら言っても、聞かなくてよ。おれ頭来ちゃって、「でも牛がいるんだよ、牛が死ぬんだよ!」って言ったけど、ダメだった。結局そのトラックは没収されて、だからあの、さっき見せたろ、最後のトラックを買うことになったんだよ。

(3)に続く