私が好きな橋は、奥多摩・雲取山麓にある壊れかけた小さな橋です。好きという言葉は的確でないかもしれませんが、その橋の風景と心持ちは今でも鮮明に蘇るのです。
小学校1年生の11月、私は父と雲取山を登山していたのでした。山頂近くの雲取山荘に宿泊し、山頂で日の出を見てから三条の湯の方へ下山しました。私は荷物を持たず、楽しく前を走って行き、父はそんな私を追って歩いてきました。
すると、経験も浅い私たちがあまり道に注意せずにスタスタと進んでいたために、三条の湯を過ぎたどこかの分岐で、水源林の整備道に入ってしまいました。しかし、道の細さと荒れ方を不審に思い、道を間違えたことに気がついたのは、もうだいぶ進んでしまってからでした。
困惑しながらさらに進むと、道の脇に小さな作業小屋が建っていました。面積は1畳ほど、高さも1mほどでしょう。屋根と四隅の柱だけの、木の小屋です。日も短い時期でしたから、その日はそこに野宿することにしました。電波はなく、家にいる母には連絡できませんでした。
満月に照らされながら、父は読み聞かせをしてくれました。沢の音と混じる父の声を聞きながら、私は深い眠りにつきました。深い森の中での野宿なのに、私はなぜだか不気味な気はせず、清らかな幸福感に包まれてさえいました。ただひとつ空恐ろしかったのは、山が私を呑みこんで母にもう会えなくなるかもしれないという不安でした。
夜が明けると、私たちはその道を降りて行きました。そうしてしばらく歩くと、森が開けて明るい場所に、あの小さな桁橋がありました。木製で5mほどの川幅に掛けられているのですが、欄干はなく、橋の中央の木板は完全に腐り落ちていました。橋は高くなく川も激流ではなかったとはいえ、踏み落とせば大怪我をすることは確かでした。
けれど私はその崩壊した橋を見たとき心から安心したのでした。山が私を帰らせてくれないかもしれない、という昨夜の不安が消えたからでした。私は橋を見て、家に帰れることを確信したのです。あの橋は私にとって、奥深く底知れない山の世界と、人間の世界を繋ぐ橋に思われたのでした。私たちは木板に足を載せないように恐る恐る主桁の上を渡りきりました。
どうにかしてその日私たちは無事に帰宅しました。しかし不思議なことに、橋を渡ってから後のことは何ひとつ記憶がないのです。道の誤りに気がついてから橋を渡るまでのことは、色や音まで鮮明に覚えているのに、です。
あの日以来、私は橋に底知れぬ畏敬と魅力を感じるようになりました。橋を渡ると違う世界に入ってしまうという感覚は、きっと古代人にもあったでしょう。
何度も調べましたが、あの橋の場所はわからないままです。
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高校を出てすぐの2年ほど前、日本で有名な大学の理工学部に入った友達にレポートを代わってくれと頼まれた。
「なんか好きな橋についてレポートを書きなさいっていうんだけど、わけわかんないじゃん。別に好きな橋なんてないし。書いてくれない? 好きでしょ、こういうの」
多分、教授としては、「構造に感動しました」とか「風景に溶け込んでいました」ということを書いてほしかったのだろう。しかし僕だって好きな橋なんて当時考えたこともあるはずなく、せっかくだから教授を驚かせてやりたかった。
だから文章としては完全にジョークだし、最後の数段落はもちろん大袈裟だ。でも内容自体は割と実話で、迷ってビバークしたのも本当だし、橋のことをよく覚えてるのも本当だ。
しかしそんなこととは露知らぬ教授である。提出した友達に「文系も向いていると思うよ」と困り顔で言ったらしい。